名所旧跡めぐり旅行
- 08月17日・・・京都 - 龍安寺 -
- 08月15日・・・京都 - 三十三間堂 -
- 08月13日・・・京都 - 東本願寺 -
- 08月10日・・・京都 - 東寺 -
- 08月07日・・・京都
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京都 - 龍安寺 -
龍安寺(りょうあんじ) -古都京都の文化財 その15-
京都駅からは、とても歩いていけない寺の一つ、龍安寺。
世界遺産の一つに該当しています。
龍安寺の入口付近には、広い池がありました。

有名な枯山水の箱庭です。
石が15個置いてあり、どの角度から見てもすべての石が見えないつくりになっているそうです。
かなりの人気スポットらしく、混んでいました。

石が見えない以前に、目の前の柱がじゃまでした・・・

まさに、日本が誇るアートです。
「禅」ですよ。
海外の旅行者に人気が高いようですよ。
京都 - 三十三間堂 -
三十三間堂
建物の正式名称は、蓮華王院本堂(れんげおういんほんどう)
世界遺産には該当していませんでしたが、かなり有名な建築物です。
建物の横の長さが約121mあり、距離があったことから、
「通し矢」と呼ばれる弓術を行うことで有名です。
りりしい振袖姿の新成人女性が、
端から端まで弓矢を飛ばすらしいですよ。

てっきり、三十三間というから、その一間が1.8mから、1.8m×33間という長さが、建物の名前の由来かと思っていたら違うようです。
建物の建築構造から、そう呼ばれるようになった、とのこと。

確かに、端から端までが、結構長い。

この中には、いろいろな仏像などが安置されています。
当然、中の写真撮影は禁止でした。
京都 - 東本願寺 -
東本願寺
京都駅からも歩いて行ける、東本願寺。
こちらは、世界遺産には該当していませんでした。
該当しているのは、西本願寺。
なんと、紛らわしい・・・。
入口の門を撮影。

門を入ってすぐの建物を撮影。

別の門or建物を撮影。

いやあ、さすがに、撮影しただけで、何の建物か、さっぱりわかりませんでした。
私は正直、神社仏閣にはそれほど興味がないので、どれを見ても同じに感じてしまいます。
たぶん、お城に興味がない人が、どの城を見ても同じに見えてしまうのと、同じ現象だろうと感じました。
京都 - 東寺 -
東寺 -古都京都の文化財 その3-
京都駅から歩いてもいける世界遺産の一つ、東寺。
教王護国寺とも呼ばれています。
(その3と記しましたが、全部で17もあるので、勝手に番号を振りました。
最初の紹介ページの番号と同一です。
別段、番号の順番などには深い意味はありません。)
まずは、入ってきた入口の門を撮影。

東寺金堂と呼ばれる建物を撮影。
中には、如来像が安置されています。
当然ながら、中の撮影は禁止されていました。

そして、東寺といえばやはり、これ。五重塔。
東寺というより、京都のシンボルの一つといってもよいでしょう。

残念ながら、この中には入れません。
京都
古都京都の文化財 ~世界文化遺産~
京都は世界遺産の宝庫です。
江戸時代になるまでの間、日本の中心である都として栄えていたからです。
その京都の世界遺産を列挙すると、
1.賀茂別雷神社 (上賀茂神社)
2.賀茂御祖神社 (下鴨神社)
3.教王護国寺 (東寺)
4.清水寺
5.延暦寺
6.醍醐寺
7.仁和寺
8.平等院
9.宇治上神社
10.高山寺
11.西芳寺 (苔寺)
12.天龍寺
13.鹿苑寺 (金閣寺)
14.慈照寺 (銀閣寺)
15.龍安寺
16.西本願寺
17.二条城
計17か所もあります。
しかも、まだまだ追加する気満々のようです。
さすが、京都!
徐々に、すべての場所を紹介していこうと思っていますが、
まずは、どのような場所が世界遺産に該当するかの紹介でした。
大砲
大砲 万右エ門(おおづつ まんえもん) 1869年 ~ 1918年
大相撲の第18代横綱。
宮城県白石市出身。
尾車部屋。
大砲という漢字から、「たいほう」という名前かと思いきや、
「おおづつ」でした。

(写真は、宮城県白石市、白石城内にある大砲の像)
白石城 その3
白石城
三階櫓からの景色その2
城内には広いスペースがあり、芝がきれいに生えています。

三階櫓からの景色その3
城内を撮影。
写真の右手上段にある建造物が、白石城大手二門です。
それと、左手上段に見える倉のような建造物が、白石城歴史探訪ミュージアムと呼ばれる資料館や売店、3Dシアターなどが入っている建物です。

城内には、力士の銅像がありました。
「たいほう」ではなく、「おおづつ」と読むようです。

白石城 その2
白石城
天守、いや櫓の前に到着。

三階櫓を撮影。

三階櫓からの景色。

白石城 その1
白石城
別名:益岡城
宮城県白石市にある城。
仙台藩伊達氏の支城として、代々、片倉氏が治めていた城郭。
徳川政権化では、一国一城制であったが、その例外として、支城として存続が続いた。
白石城へ向かう途中にあった、旗。
「俺が行かずは誰が行く 伊達の先陣 片倉 小十郎 見参」
なかなか、かっこいい旗です。
片倉 小十郎とは、伊達政宗の家臣で、伊達家の軍師としても活躍した人です。
片倉家の当主は代々、小十郎の名前を受け継いだといわれています。

天守へ向かう途中です。

写真は、再建された三階櫓です。
実際は天守と同じですが、上記の一国一城制もあったため、
当時も、あくまで櫓(やぐら)として呼ばれていたようです。

佐竹 義堯
佐竹 義堯(さたけ よしたか) 1825年 ~ 1884年
江戸末期から明治にかけての人物。
出羽国 久保田藩12代藩主(最後の藩主)
なお、出羽国(でわのくに)は、現在の秋田県と山形県に相当する場所。
また、久保田藩は秋田藩とも呼ばれている。
関ヶ原後は、佐竹氏がこの秋田の地を治めていた。
現在の秋田県秋田市にある久保田城(現在は秋田市千秋公園)の中に
この象はある。

<写真は、久保田城(秋田市千秋公園内)にある佐竹 義堯の銅像>