川中島の戦い 信玄VS謙信 一騎討ち
2009年05月16日
川中島の戦い 1561年(第4次の戦い)
武田信玄と上杉謙信の一騎討ちの銅像。
川中島の戦いというのは、1回だけでなく、第五回まで行われた。
その中で、一番の激戦であったのが、第4回目の戦いであった。
啄木鳥(きつつき)という鳥は、木の中の虫を捕まえるのに、虫のいる反対側をつついて、虫をびっくりさせ、その虫が出てきたところを捕まえるという。
その方法を啄木鳥戦法と名づけ、武田軍は上杉軍に対して行った。
具体的には、妻女山(さいじょさん)という山に布陣していた上杉軍を背後から別動隊が攻め、山を降りてきたところを、武田軍の本隊が叩くというものであった。
しかし、上杉軍はそれを察知し、別動隊が来る前にそっと山を降り、武田軍の本隊の前に姿を現した。突然の敵軍に驚く武田軍であり、そのときの戦いで、上杉謙信が単身武田の本陣まで侵攻し、馬上から武田信玄に切りかかった。その時、信玄は手に持っていた軍配でそれを受けたと言われる。

写真は、八幡原史跡公園内にある銅像。
佐久間 象山
2009年05月14日
佐久間 象山(さくま しょうざんorぞうざん) 1811年~1864年
信濃松代藩(長野県)出身の武士
江戸末期、幕末に活躍した人物。
象山塾では、吉田松陰、勝海舟、坂本竜馬などがその塾生にいたそうです。
洋学を熱心に勉強し、非常に有能な人だったが、自信過剰な面もあったようです。

<写真は、長野県長野市にある、八幡原史跡公園内の銅像>
川中島
2009年05月12日
川中島
長野県の長野駅からバスで20分。結構不便でした・・・
現在は、八幡原史跡公園(川中島古戦場)となっています。

有名な信玄と謙信の一騎討ちの像。
私のベスト3に入るお気に入りの像の一つです。

公園内には、「佐久間象山」という方の像もありました。
どのような人かは、銅像シリーズで簡単に説明します。

高島城 その2
2009年05月10日
高島城 その2
天守からの景色。目の前に見えるのが諏訪湖です。

天守を反対側から撮影。
復興天守として鉄筋コンクリートで造られているそうです。
当時を偲ぶにも、電線が気になります。

高島城 その1
2009年05月09日
高島城
長野県諏訪市にある城。
昔は、諏訪湖の接しており、「諏訪の浮城」と言われていた。
現在は、埋め立てられており、その面影はありませんでしたが・・・。
三大湖城の一つと言われている。
三大湖城には、この高島城の他に、下記がある。
「松江城」 (島根県松江市)
「膳所城(ぜぜじょう)」(滋賀県大津市)
なお、松江城は、現存12天守の一つでもある。
閑静な住宅街を歩くと、突如天守が姿を表しました。

城壁の周りは、水堀になっています。

いざ、天守へ

甲府城
2009年05月08日
甲府城 ~日本100名城-25-~
山梨県甲府市にある城。別名:舞鶴城
JRの甲府駅から近い。
天守閣に相当する場所に碑石?が立っていた。

武田 信玄
2009年05月06日
武田 信玄(たけだ しんげん) 1521年~1573年
甲斐の国(現在の山梨県)に生まれる。
戦国最強との言われ高い、騎馬軍団を率いた。
その軍略は、織田信長や徳川家康も一目置いていた。
「風林火山」の旗印や、
上杉謙信との川中島の戦いが有名。
武田信玄には、名言も多い。
「人は城、人は石垣、人は堀。情けは味方、仇は敵なり」
信玄は、領国内に強固な城をつくらず、人の心をつなぎとめることで国を栄えさせた。
どれだけ立派な城を造っても、人がついてこなければ、国として成り立たない。
現在でも考えさせられる名言の一つである。

<写真は、甲府駅の駅前にある像>
松本城 その2
2009年03月26日
松本城 別名 深志城 烏(からす)城
その黒の色合いと、池と城のバランスがとても美しい。

天守閣からの景色。金網が張られているため、ちょっと見にくい。

最初の写真とは、ほぼ反対側から、天守閣を撮影。
どこから撮っても、サマになっているのすばらしい。

松本城 その1
2009年03月24日
松本城 ~国宝四城~ ~現存12天守~ ~日本100名城-29-~ ~三名城~
本丸へ入るための正門

国宝の文字が書かれた碑石

いざ、天守閣へ

国宝四城とは、姫路城、松本城、彦根城、犬山城です。
現存12天守とは、国宝四城に、高知城、丸岡城、松江城、宇和島城、備中松山城、松山城、弘前城、丸亀城の8つを加えた昔の状態をほぼ維持したまま残している貴重な天守の城をいいます。
三名城とは、世間一般的に、有名な3つの名城のことをいうため、諸説あります。
一般的には、姫路城、名古屋城、熊本城をいいます。
これ以外に、大阪城、松本城が入ったり、入らなかったりします。