掛川城 その2
2009年06月26日
掛川城 その2 ~日本100名城-42-~
冠木門の前に到着。けっこう急な階段でした。
天守は目の前です。
天守からの眺め。山の上にあるため、周りがよく見えます。
天守からの眺め、その2。
目の前に見えている屋敷が、掛川城二の丸御殿です。
国の重要文化財に指定されています。
この御殿は、公的な式典の場所であり、藩主が住んでいた場所でもあり、
藩の政務をつかさどる場所でもあります。
掛川城 その1
2009年06月24日
掛川城 ~日本100名城-42-~
静岡県掛川市にある城。
東海道の重要な拠点とされていた。
掛川の地は、今川家の重臣、朝比奈 泰煕(あさひな やすひろ)が治めていた。
その後、徳川家がその地を統治し、家臣の石川 家成・康通が治めた。
その後、豊臣政権化では、山内 一豊がその地を治めた際に、近代的な城下町として整備され、現在の城の天守閣がつくられたと言われている。
山内 一豊が高知に移封になってからは、徳川家の譜代の大名が治めていくことになった。
なお、この時代の天守は江戸時代に地震で倒壊し、1994年(H6年)に、高知城を参考に、木造での復元がなされた。
橋を渡るころには、天守の姿が見えてきました。手前に見えるのが太鼓櫓(たいこやぐら)で、
奥に見えるのが天守です。
小高い山の上に天守がそびえています。
このように平らな土地にある山の上に城をつくった場合、
「平山城」と呼ばれています。
天守へ登る階段です。
浜松城
2009年05月30日
浜松城
静岡県浜松市にある浜松城。
戦国時代、今川家の領地であった。
その後、徳川家の領地となり、徳川家康も
若き日にこの地を本拠地としていた時期もあった。
江戸時代には、この城の城主になった人の多くが、偉くなったため、
「出世城」という別名もあるようです。
秋口に行ったため、単なる木々がうっそうとしているような景色でしたが、
桜の時期には、大変きれいなようですよ。
天守閣を撮影。
天守閣を支える石垣は、自然の石をそのまま積んで造った石垣だそうです。
大小さまざまな石が自然の状態で積まれているため、このような石垣のことを野面積み(のづらずみ)と呼びます。
天守からの景色です。天守は網で囲まれていました。
秋口のため、木々が紅葉できれいでした。
浜松市役所の隅にあった「鎧掛松(よろいかけまつ)」です。
徳川家康が、武田信玄と戦った三方ヶ原の合戦で敗れ、城に帰るとき、大きな松の木陰で休みました。そのとき鎧を脱いでその松に掛けたことから、鎧掛け松と呼ばれるようになったそうです。
徳川 家康
2009年05月24日
徳川 家康(とくがわ いえやす) 1543年 ~ 1616年
100年に及ぶ戦国の世を統一し、260年にわたる江戸幕府を開いた人物。
日光東照宮では、「東照大権現(とうしょうだいごんげん)」として神としてまつられている。
徳川家康の遺訓と言われている名言
「人の一生は重荷を負いて遠き道を行くがごとし、急ぐべからず。
不自由を常と思えば不足なし。
心に望み起こらば困窮したる時を思いだすべし。
堪忍は無事長久の基、怒りを敵とおもえ。
勝つことばかり知りて、負くることを知らざば、害その身にいたる。
おのれを責めて人を責むるな。
及ばざるは過ぎたるより勝れり」
天下を長期にわたって盤石なものにした徳川家康ならではの、
非常に深みのある名言です。

(写真は、静岡県の浜松城内にある銅像)